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日本

ポーランドと日本の間の外交関係は、1919年3月22日に確立されました。

政治協力

日本・ポーランド交流史

1892 – 1919年

ポーランドと日本の間にまだ正式な国交が結ばれていなかった時代、初めてポーランドの土を踏んだ日本人は福島安正少佐でした。1892~93年にかけてベルリンからウラジオストクまで単騎旅をしていた最中のことです。参謀本部の命により、ヨーロッパ各国の陸軍、とりわけ脅威であった隣国ロシアの軍事に関する情報収集活動を行っていたのでした。その際、少佐はポーランドの独立運動指導者やシベリアに抑留されていたポーランド人らと交流を持ったのです。彼の報告書によって、19世紀末の日本でも分割占領下にあるポーランドの悲劇的な運命が知られることとなりました。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ポーランド人旅行者や研究者が次第に日本を訪れるようになりました。その中に民族学者のブロニスワフ・ピウスツキ、民族誌学者で作家のヴァツワフ・シェロシェフスキという二人のシベリア流刑囚がいます。ピウスツキは後にアイヌ語やその文化に最も精通した専門家の一人となり、シェロシェフスキは日本についての回想記や物語を多く書き残しました。

ポーランド人の日本に対する関心は日露戦争(1904~05年)の間に大いに高まりました。ロシアが敗北すれば祖国の独立回復が実現するかもしれないという希望が生まれたためです。そして国民連盟とポーランド社会党の幹部が日本政府代表と非公式に接触するに至りました。ロマン・ドモフスキとユゼフ・ピウスツキが会談のため東京を訪れたのです。結局、大規模な協力関係の実現には至らなかったものの、当時ポーランド人の中に生まれた親日感情は大戦を経て今日に至るまで続いています。

1919 – 1945年

日本は、世界でも逸早くポーランドの独立回復を承認した国の一つです。1919年3月6日、日本政府によるポーランド国家を承認する決定が行われ、3月22日にパリ講和会議の場で公表されました。20年代の両国の交流活動は散発的なものに留まっていたものの、通商条約の調印や皇族のポーランド非公式訪問という成果につながりました。また日本赤十字社は約800名のポーランド人シベリア孤児たちを救出し、彼らの本国帰還を実現させました。1925年、51人の日本人将校に対し、日露戦争時の軍功を称えVirtuti Militari(軍功労勲章)が授与されたことも、ポーランド人の親日感情を示しています。こうして両国民の互いの文化への関心が高まりました。

1930年代になると世界情勢の変化に伴い、両国関係も活発になりました。特にドイツ、ソ連に対する諜報活動および暗号解読の分野において軍事協力が発展しました。この軍事協力体制は1945年まで、すなわち、1941年12月11日にポーランド亡命政府が日本に宣戦布告し、国交が断絶した後もなお続いていたということです。杉原千畝領事とレシェク・ダシュキェヴィチ少尉はカウナスとケーニヒスベルクで、小野寺信少将はミハウ・リビコフスキ少佐と共にストックホルムにおいて協力関係を保ち続けました。また、杉原領事の発給したビザのおかげで、約6千人ものポーランドのユダヤ人が目前に迫っていた死を免れることができたのです。

戦時下の日本においても、ポーランド人フランシスコ会修道士たちは活動を続け、マクシミリアン・コルベ神父はゼノ修道士(ゼノン・ジェブロフスキ)と共に長崎に修道院を設立しました。フランシスコ会は現在でも孤児や高齢者、障がい者に対する福祉活動を献身的に行っています。 

ポーランドの民主化後の政治協力

ポーランドと日本の協力は、ポーランドが完全に民主国家となった1989年以降、急速な発展を遂げました。両国間の要人の往来も年々増加しています。2002年7月には、両国民の友情を深め、交流を促進させるため天皇皇后両陛下によるポーランド公式御訪問が史上初めて実現されました。2007年は日本・ポーランド国交回復50周年を迎え、両国で多くの記念行事が催されました。同年、初のヴィシェグラード・グループ+日本(V4+1)外相会合が実施されました。2013年6月には「V4+日本」首脳会合に出席するため安倍総理がポーランドを訪問し、翌2014年を「V4+日本」交流年とすることで合意しました 2015年にはブロニスワフ・コモロフスキ ポーランド共和国大統領が訪日し、両国関係が戦略的パートナーシップに格上げされました。これを踏まえ、2017年にヴィトルド・ヴァシュチコフスキ外務大臣が訪日し「日・ポーランド戦略的パートナーシップに関する行動計画」が署名されました。2018年には河野太郎外相によるポーランド訪問が行われ、日本・ポーランド国交樹立100周年を迎えた2019年には、秋篠宮皇嗣同妃両殿下 がポーランドを御訪問されました。 

経済協力

日本・ポーランド間の経済協力は飛躍的に発展しています。現在、ポーランドには約300社の日系企業(内約100社が製造業)が進出しています。これまで4万人の雇用を創出し、EU域外の企業として雇用創出数で8位にランキングしています。生産拠点の多くはドルノ・シロンスキ県、シロンスキ県の経済特区に集中にし、主に自動車部品、液晶ディスプレイなどの電子工学部品、ガラス製品、薬品、食品を製造しています。
2016年からワルシャワと東京を結ぶLOTポーランド航空の直行便が就航するようになり、両国の経済協力に好影響を与えています。ポーランドの対日貿易は大幅な赤字(約35億ユーロ)を計上していますが、2019年2月1日に発効した日EU経済連携協定(EPA)によって、今後は対日輸出の増加が見込まれています。日EU・EPAにより、相互の企業にとって、モノとサービスの市場への供給がスムーズになり、現代のニーズを満たすビジネス環境が整備されれば、貿易、投資などのビジネスチャンスの拡大が期待されます。ポーランドの生産者にとっては、これまで高い関税が 課せられていた乳製品をはじめする牛肉、鶏肉などの農生産品の対日輸出の増加が見込まれるほか、ポーランド企業による日本の公共調達市場への参入も可能になります。

参照リンク

 ポーランド投資・貿易庁 東京オフィス
ジェトロ・ワルシャワ事務所 

文化協力

両国の文化交流は盛んに行われています。両国においてコンサート、演劇、映画、絵画・グラフィック・アート・ポスター・写真・現代アート・工芸などの展覧会が繰り広げられています。芸術家同士も互いにインスピレーションや影響を受け合っています。日本では「ポーランド派」と呼ばれる映画作品群、タデウシュ・カントルの演劇やイェジ・グロトフスキの実験演劇論、ポーランドのグラフィックアートやポスター、マグダレナ・アヴァカノヴィチの作品、ポーランド音楽、とりわけフレデリック・ショパン、カロル・シマノフスキ、スタニスワフ・モニューシュコなどは良く知られ、愛されています。現代音楽の作曲家としてはクシシュトフ・ペンデレツキが人気を博し、2004年には栄誉ある高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しています。1991年から2006年にかけて16のポーランドの文化・学術機関が日本政府の文化無償協力を受けました。1999年には国交樹立80周年を記念して、両国関係を振り返る大規模な展覧会が実施されました。同年は国際ショパン年でもあり、ショパンを大きく取り上げたこの事業は「ショパン ポーランド・日本」展と題され、東京、大阪、ワルシャワ、クラクフの各都市を巡回しました。2001年には横浜、名古屋、京都の各都市でダ・ヴィンチの《白テンを抱く貴婦人》をはじめとするチャルトリスキ美術館の所蔵品展覧会が開かれました。

2005年は「2005年日EU市民交流年」に制定され、日本とEU25か国の人々が相互理解と交流を深めることを目的に、様々な分野におけるイベントが実施されました。日本・ポーランド間の文化交流の最大のシンボルとなっているのは、クラクフにある日本美術技術博物館「マンガ」です。日本で最も評価されている映画監督の一人であるアンジェイ・ワイダ監督の発意と主導により設立されました。ポーランド映画は日本において根強い人気を誇っています。ポーランド文化研究も盛んで、多くの書籍が毎年出版されているほか、学術会議、シンポジウムが定期的に開催されています。2013年10月には白老アイヌ民族博物館にポーランドの民族学者であり、アイヌをはじめとする極東民族の言語・文化研究の世界的な第一人者であるブロニスワフ・ピウスツキの銅像が建立され、除幕式典が行われました。  

ポーランドにおける日本学研究は長い伝統を誇り、1919年に設立されたワルシャワ大学日本学科をはじめ、クラクフ、ポズナン、トルン大学が日本学科を擁し、質の高い教育・研究活動を行っています。  ポーランドの日本学研究者、また日本のポーランド学研究者たちの尽力により、両国の国民は、互いの文化事情に関する優れた著作や文学作品を原語から直接訳出した見事な翻訳で楽しむことができます。

参照リンク

ポーランド広報文化センター
ポーランドの日本美術・技術博物館 Manggha

学術協力

日本とポーランドの大学および研究機関では、活発な共同研究が行われています。特にクリーンコール技術、医学、核物理学、先進材料の分野において多くの画期的な共同プロジェクトが進められています。
2013年10月3日にはポーランド国立研究開発センターと一般財団法人 石炭エネルギーセンター(JCOAL)が石炭エネル ギー分野における包括的な協力に関する覚書を締結しました。CO2回収・貯留(CCS)、エネルギー産業用先進材料の応用、次世代の高効率エネルギー生産、石炭の液体燃料化およびガス化といった石炭エネルギー技術の発展を目指した革新的研究開発において両機関が協力することを目的としています。2017年5月には研究開発法人日本原子力研究開発機構とポーランド国立原子力研究センター(NCBJ)が「高温ガス炉技術に関する協力のための覚書」を締結し、高温工学試験研究炉(HTTR)の研究協力が進められています。
ポーランド・ニュートリノ・グループ(8研究機関と30名の研究者)はスパーカミオカンデおよびハイパーカミオカンデ計画に関わる素粒子物理学分野において、日本の研究者たちと共同研究を行っています。そのほかワルシャワ工業大学、AGH科学技術大学、ワルシャワ経済大学、ポーランド日本情報工科大学をはじめとする多くの大学・研究機関が日本の大学と協定を結び、共同研究プロジェクトを実施するほか、学生の交換留学も活発に行われています。                    

日本、ポーランドともにOECD加盟国であるため、それぞれの教育システムにおいて取得した初等・中等教育の修了証明書は相互に法的効力を有します。ただし、下記の条件を同時に満たすこと。
•    日本(あるいはポーランド)の領土に存在する、もしくは日本(あるいはポーランド)の教育システムに則って運営される学校および教育機関により発行された証明書であること。
•    日本(あるいはポーランド)の高等教育機関への入学資格を認める証明書であること。

参照リンク

学位・学修の認証

日本国内のポーランド政府機関

ポーランド広報文化センター
ポーランド投資・貿易庁東京オフィス
ポーランド政府観光局東京事務所

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